以前に、聞いたことがあった。
本屋を営んでいた頃のこと、手伝ってもらっていたひとが、昭和4年生まれ。
物のない時代に育ったので、買いたいものがあると、店に頭金を置いてでも、取ってもらう。
なくなるのではないか、売れてしまうという不安からだそう。
同じ年に生まれた叔母がいる。
その叔母は、食品を一口噛んで、置いておくクセがあったと父が笑っていた。
食事に植えていた時代に育った人の知恵だった。
他の人に食べられないように。
加藤剛が亡くなったとのニュースが流れていた。
加藤剛も、戦時下にあつて、食べるものが困窮していた時代に、栄養が足りないで育った人。
この頃の人は、早く亡くなるひとが多い。
同輩の平幹二朗、米倉斉加年、緒形拳、などの惜しいひとが、長生きできないでこの世を去っている。
闘病中のなかにし礼や、鳥越さんの消息も途絶えている。
叔母も、女性は長生きだとはいえ、亡くなっている。骨粗鬆から、動けなくなって。
食事が行き届かない頃に、育った人は骨が弱い。
今、長寿を支えているのは、大正生まれの人。
大正は、豊かな時代だった。大正浪漫と言われた頃、育った人たちは、丈夫で長生きの人が多く、100歳時代を生きる、というフレーズも、彼らの長寿を見据えてのこと。
軍需景気で、日本が裕福だった頃に育った人たち。
日本も、経済のバブルを湯水のようにお金を消費して、今はどうだろう?
下山の道をたどっている。
戦争のきな臭い匂いもし出している。
石油を止められた日本は、あの不幸な戦争にと突入して、原爆な日を迎えた。
歴史は繰り返される。
人間は懲りない。
忘却がまた、人間を生きながらえさせもする。