明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

黒川紀章とバロック

 若尾文子と初めて会ったというテレビの対談で、黒川は、若尾文子に、「あなたはバロック的美人だ。」と言った。聞き返した若尾に、「女性は否定的な要素と、肯定的な要素を併せ持つ存在なので、女性はバロック的なのです。」と答えた。

 バロックとは、いびつなという意味で、真珠でバロックというのは、でこぼこのある歪な真珠のことを言う。16世紀から18世紀にかけての様式を表現し、古典的なロココ様式に対立する。統制や、規制にはロココが、自由と共生という概念にバロックがあてはまる。黒川紀章は、一貫して、バロック建築を胸とした建築家であり、思想家でもある。

 バロック音楽で言えば、バッハがすぐに思い浮かぶ。音楽評論家の吉田秀和は、じゃましないで聞けるのは、モーツアルトとバッハだと言い、どんな状態にあるときでもバッハだけは聴くことが出来ると語っていた。バッハが未完だと言われるのは、自由と共生がテーマになっているからだろう。マルグリット、デュラスは、バッハを労働者だと語っている。

 建築では、ガウディーを思い浮かぶ。ガウディーのサグラダ、ファミリアは、否定を肯定とのせめぎ合いをしながら、何百年という長いスタンスで建設中なのも、まさに自由と共生、肉体と精神の作業だ。

 ダリやピカソシュールレアリズム、ダダ、アバンギャルドなど、バロック的精神を受け継いだ思想は、形を変えながら、自由と共生という思想を継承している。

 黒川紀章は、建築がせいぜい100年で建て替えられるが、思想は永遠だ、と言って、今年の都知事選に出馬し、7月の参院戦で、「共生新党」を立ち上げて選挙を戦った。 その頃、すでに、肉体は至る所痛んでいて、ぼろぼろの状態だったが、精神は健康そのものだった。ここでも彼は、否定と肯定とのせめぎ合いの中で、精神の自由と病んだ肉体との共生を実存していたわけだ。

 福田首相が、今盛んに訴えている「自由と共生」という理念を聞き、お株をうばわれたね、と言っていたらしい。黒田紀章のバロック精神を、サラリーマンだった福田首相が理解しているかどうかはわからないが、民主党の「異」に対話という民主的な対話路線で、共生を見いだそうとしている姿勢には、女性的バロックがかいま見られる。ちなみに官房長官が似合っていたというのは、まさに女房役を言うのだから。

 黒川紀章の思想は、彼の建築で表現されている。100年と言わず、何百年をかけて、改良保存していかねばならない。

ご冥福をお祈りします。