明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

ムンク展 兵庫県立美術館

 

 

 

 パリで借りるアパート代の支払いをかねて、友人を誘ってムンク展を見に行った。

兵庫県立美術館が王子公園にあった頃、博物館員の資格研修で1週間通った事があったが、

移転してからは、交通が不便なので、足が遠のく。六甲駅で、拾ってもらって、車に便乗させてもらった。

 ムンクの作品と言えば、「叫び」と「マドンナ」くらいが浮かんでくるので、作品は少ないだろうと、

勝手に予測していたら、とんでもない、随分沢山の作品が、オスロから運ばれて来ていた。装飾画の「フリーズ」がムンクの生涯かけてのテーマだったという。

 

 

最初の部屋の作品の基調になっている色が、まるで静脈を流れる、どす黒い赤を思わせる。

「フリーズ」というのは、最初「固まることかな。」と思ったら、音楽的だということか。女性の髪の流れが、

男性を絡め取るように描かれるのも、音楽の旋律なのだろう。歪み、流れの不安定な描き方、

顔の造作の欠如、穴のような顔、など、確かに「音楽的」といえる。が、むしろ私には、血流の流れの音、心臓の鼓動、不安に忍び寄る恐怖の中の不気味な、カラスの声、暗闇に鳥が羽ばたく音が聞こえた。

ムンクは晩年に彼のアトリエで、それらの作品を「装飾画」として、並べ替えては、

自分の生涯を見つめ直していたという。このような作品が、売れるわけがない、

晩年彼のアトリエにあったのだから、一体彼の生活の糧はどこから?アトリエに座るムンクはハンサムで知的で、

貴族だったのではないか、と想像した。所が年譜を見ると、そうではなく、装飾画家として、

大きな作品の依頼も多く、版画家としても活躍していたという。

 

 個展会場は、そこから、一変して、注文を受けた「装飾画」の展示に変わっていく。

色も美しく、明るい色調で、なんと「チョコレート工場」の食堂の壁を飾る装飾画とか、

ノーベル賞受式の講堂を飾る装飾画、眼科の子供室に依頼された「装飾画」など、目を見張る絵画ばかり。

ムンクという人は、自分を完全にコントロール出来る人で、客観的に、自分を眺めながら生きて来た「知識人」であった。

彼がイメージする、人間という存在の音楽的流れを絵画に描き、塗り込め、動きを描いたのだという感じがする。

 けれど、どんなに知的に自分をコントロール出来たとしても、あのよどんだ血の、ほとばしり、流れ、

したたりおちる浸みのように、生への執着と死への恐怖から、一時も逃れることが出来なかった、ということが、

彼のアトリエを飾る「装飾画」の中に見て取れる 私も思わず、目を背け、避けたくなるような「装飾画」に、真の直視することの出来ない、まだまだ、装飾的な、という形容しかつけられない表層的「生」と「死」を提示している、ということなのだろうか。