明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

ギメで、江戸企画、日本映画

 

 

 ギメ美術館は、「江戸」というタイトルで、日本の歌舞伎、映画、文楽などを取り上げていて、水曜日に、溝口監督の「雨上がりの朧月夜の話」という1952年にベネチア映画祭に出品された映画を上映するというので、再びギメに行った。

 入場料は4ユーロだった。トイレに行っている間に、映画はすでに始まっていて、会場は満員で、階段にも人が座っていた。一旦はそこに座っていたが、最前列は少し空きがあるようなので、移動すると、、2番目の端が幸い一つだけ空いていた。

 画面が大きいので見にくいけれど、声が良く聞こえる。階段では聞き取りにくかったから。

 琵琶湖のほとりで焼き物をして暮らしている夫婦と子供、畑を耕して暮らすその弟夫婦がいる。戦争で焼き物が売れ、妻に小袖を買ってやれるようになると、お金ほしさに、人が変わったように陶器作りに精を出す。長浜に売りに行き、弟は売れたお金で槍を買い、兵士に志願する。置きざりにれた女房は、野武士達に犯される。敵の大将の首を手に入れ、出世をしたので、故郷にいる妻の元に帰る道すがら、女郎館に寄って、女房に出会う。

 一方女房子供を置いて来た焼き物師は、美しい姫に焼き物を買うので届けてほしいと言われる。そのまま、その男は姫の虜になり、結婚するはめに。やがて僧侶が出てきて、恐ろしい死の相が出ているので、せめて命が助かるようにと体にお経を書いてくれる。

 その姫は、恋いも知らずに、城主の父親と共に焼け墜ちた亡霊で、男を死の国に引き連れようとしていたが、なんとか男はお坊様のお陰で助かり、目が覚めて女房子供の所に帰る。家は荒れ果てているが、女房が迎えてくれる。寝ている子供のそばで眠るにつく。朝が開け、子供を預かっている親戚がやってくる。急に子供がいなくなったので、と。さすが、父親が帰るのを感づいたのだろう。

 母親は、落ち武者に斬り殺されたと男に告げる。 

女房の声が聞こえる。

「私はいつまでもあなたのそばにいます。こうしてろくろのお手伝いをしているのが幸せです。」轆轤が廻っている。男は轆轤の上で陶器を形作っている。以前に女房が轆轤を回していたように。

 弟夫婦は、再び畑に精を出して働いている。お椀をもらった子供は、母親のお墓に供えて拝んでいる。のどかな山里の風景が広がる。

 映画の始めに、おぼろ月夜にお金持ちになりたい、侍になって出世をしたい、と夢を語っていた4人が、人間の幸せは、そうい

う所にはなかった、大切な物を失ってしまった、平凡な日々の営みの中に、思い合う心の中に、はかない人生の幸せがある、ということをこの映画は表現しているのだけれど、人間の欲望とはかなさ、哀れさ、その奥に能の世界がある。空蝉の、幽玄の世界を表現してる。それ故に、これだけ多くのフランス人達がこの映画を見たいとやってくるのだろう。

会場を出て、案内の看板を写していると、初老のフランス人が、ほしいのならあげましょうと。係の人がポスターにしている印刷の紙をはずしてくれて、「この人はここのシェフです。」と。つまりギメ美術館の現館長だった。

 

 水曜日は、学校が午後から美術館での課外授業になっているらしい。館内では、ガイドさんも沢山出ていた。この間、ゆっくり見ていなかった所をもう一度、と思って見て回った。日本はやはり素晴らしい。マリーアントワネットが母親からもらって使っていたという日本の蒔絵が素晴らしい。

富岡鐵才の屏風が4点ほどあって、どれも見事な筆使い、遊び心もあり、豪快名作品ばかり。光悦様用の注文品の茶碗など、じっくりと見ると又、楽しい。

 

 驚きは、アフガニスタンの美術だった。この前来た時にも、ガラス工芸の美しさや、顔の作りの美しさに惹かれていた。2世紀にはグレコ、3世紀になるとブディズムになる。アフガニスタンの美術は、どれも素晴らしく高度なものだ。