明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

つかのまのパリ滞在

  

  朝の11時25分着の飛行機だと思っていた。掲示板の見ると、BA306というのが、11時40分着予定になっているのに、到着が遅れるようだった。11時25分着はAFですでに到着して、2Fゲートになっている。BAは 2Bゲートで反対側にある。2Bに行き、308便はいつなのかと聞くと、1時45分になるという。遅れるだろうと言う。それで、308は何かのトラブルで、遅れるのだろうと思って待っていた。

 自由の女神の原型

 BAのチケットカウンターで聞くと、はやり同じことを云われ、2時に着く予定だという。1時間半近く待っていたが、もう一度、時間が早くならないのか聞きに行った。別の女性に、11時25分につく予定だった飛行機でBA308だというと、その時間ならAFだという。あわてて、そこから走って AFまで行った。まだ待っているだろうと。息子はいない。もう一人でパリに行ったのではないか。公衆から従姉妹の家に寄っていないかと電話をした。一番忙しい最中で、すぐに電話を切った。

 それから、手帳を見直すと、11時25分Aと書いたのは、その時間にロンドンを出る飛行機だということだとわかった。アライブと間違えていて、AMのことのようだ。 だからまだ掲示板も出ていなかった事に気がついた。掲示板に308が出手来た。遅れるようで、2時半の予定と書いている。着いたのは3時だった。何度か電話してもかからなかったので、メールをもらったきりになっていた。気になりながら、行けばわかるだろうといいかげんにしていたのが悪かった。

 従姉妹のレストランに、顔を出し、挨拶してすぐに帰るつもりだったが、生ハムとワインを出してもらった。

 ソルボンヌ大学

 朝のうちに、近くの魚屋で、牡蠣、コキーユサンジャック、エビを買っていた。最初は海鮮の盛りつけにしようと思ったら、55ユーロと言われ、ウニをやめたら、プレートの盛りつけに12ユーロいるのと云う。それでそれもやてもらって、28ユーロだった。結果はこの方が良かった。盛りつけなら冷蔵出来ないので、夕方までそのまま置いておくことになってしまったから。

 アパートで、海鮮とサラダで食事をしてから、その日の内に、吉田さんのアトリエを訪問した。吉田さんと親しい人で、吉田さんに随分長い間お世話になった人が、今は大学に職を得て、忙しく活躍しているので、最近はほとんど来られない人が、連休を利用して泊まりに来られると楽しみにしておられた。予定が一日延びたので、今夜は来られないことになった、とおっしゃる。食事を済ませたから、と言って、ワインを持って出かけた。

 翌日はと聞かれ、そのあたりをぶたぶらするというと、明日案内するからと言われて翌日の11時に、再び吉田さんを訪問することになった。

 アパートに帰り、再び飲み、残り物をつまみ、寝たのは2時を過ぎていた。

 翌朝、雨が降っている。予定は変更になりそうだと思いながら、吉田さんのお宅に行くと、エレベーターから降りて来られた。

 吉田さんの頭の中で描いた、観光ルートは、まずルクサンブルグ公園から始まった。雨が降って道はぬかるみ、寒かった。ルクサンブルグから、ソルボンヌ大学、カルチェラタンを歩き、中世美術館まで来ると、中を見ることになった。中は暖かく、暖を取るにも丁度良い。ギメと同様に6月まで無料になっている。そこから、ノートルダム寺院に行くと、中に入ろうと行列が続いている。中は見ず、裏の公園の廻って、そこからマレー地区の方に歩く。吉田さんが、最初に入っておられたパリ市のアパートがその近くにあり、その辺りは毎日の散歩道だったとか。河原で石を削っていた場所。マレーにはおしゃれな店が狭い道の両側にならんでいて、この界隈は重い扉を開けると、中庭があり、高級住宅街になっている。岸恵子もこのマレーに住んでいると雑誌で見たことがあった。

 コキーユ、サンジャック

マレーを抜けて、教会に入り、その近くで休みをかねてレストランに入った。

吉田さんはお腹を壊してるので余り食べられないとおっしゃって、コキーユサンジャックを注文、息子は子牛肉で私はサラダを取った。再び歩き出し、雨が霰か雹にかわっている。ユーゴーの家がある、ヴォージュ広場の回りを一周して、バスティーユ広場に。このころには、もう大分疲れていた。

 

吉田さんはお元気だ。一端バスに乗り、3駅先のシャトレで降りて、ポンピドーセンターまで歩くのも、見せたい道を通るので、遠回りになる。シャトレから凱旋門まで地下鉄に乗るのかと思い、そこに地下鉄がありましたよ、と言うと、あれは別線だと言われてひたすら歩く。フォーラムの公園のあたりを歩いて、ルーブル宮まで歩いた。やっとそこで地下鉄に乗り、凱旋門に行くと、あの回りは地下に入ったり出たりと歩道がないので、歩かないと行けない。凱旋門にあがって、放射状になっているパリを見せるつもりだったが、ここでも待つ人がすごい。で凱旋門の下から、放射状の道を見て、そこから吉田さんは、モンマルトルに行くつもりでおられた。もうこれで十分だから、疲れてもう歩けませんとお断りして、やっと観光案内は終わった。息子も気を遣っていたし、吉田さんも無理されていたようだった。

 

 息子は仕事を終わってやってきて、時差ぼけと疲れで、もうこれが限界だったし、吉田さんは、吉田さんで、お腹の調子が悪いのに、無理されていたようだ。持久力と忍耐力は並はずれた強さを持っておられる。

 アパートに帰り、見届けてから、お暇しますと云うと、吉田さんが紹介したい人がすぐにやってくるからそれまで待つようにと言われた。そこに電話が入り、電車の予定が1時間遅くなるとのことで、お暇する事に。

 強行軍のパリ滞在で、疲れたけれど、良く歩いて、パリを知ることが出来た。雨と霰と、時折は晴れの空の中で、随分よく頑張ったものだと思う。これが私と二人だけなら、ちょっと歩いて、帰って来たことだろう。パリのほぼ主たる所を歩いたことになる。

 近くの魚屋は、フリ、ド、メールの注文品が並んでいる。朝山盛りになっていた牡蠣に底が見えるほどで、ホタテ貝は無くなっていた。一番小さな牡蠣が残っていて、それを買った。ホタテ貝とバイ貝にエビ、タルタルソースを買った。