明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

オペラの原風景

  バスチーユ

プッチーニの「蝶々夫人」の中に、「ある晴れた日に」という歌曲がある。蝶々夫人と言えば、日本の草分け的存在として、三浦環というソプラノ歌手がいた。昔の日本人ソプラノ歌手のイメージは、背が低く、太っていた。

 私が新婚旅行でハワイに行った折りに、昔はニューオータニと言ったと記憶するホテルで、日本人のソプラノ歌手に出会った。彼女の名は、東さん。蝶々夫人を得意とする歌い手だと聞いた。世界中を公演して回っているとか、ホテルの支配人が、紹介してくれた。 彼女は親しく話しかけて来られて、楽屋に是非遊びに来るようにと言われたが、その当時は、オペラを見に行ったこともなければ、行けるような環境にもなかった。

 それでも、蝶々夫人の「ある晴れた日に」という歌には馴染みがあり、その時の出会いは心にいつまでも消えることなく残っている。

 ロスアンジェルス

 海外に出ると、私はまず、どこかでオペラの公演がないかと探すようになった。そのきっかけは、息子と初めてニューヨークに行った時にさかのぼる。いえ、それが最初ではなかったかもしれないが、私の頭の中で、強烈な印象を持って残っているものだから、そう思うのかも知れない。

 1週間、ニューヨークに滞在した時のこと、息子はメイン州の田舎にある高校生だった。 マンハッタンのブロードウェイに近いホテルを、何軒も訪ね歩いて、比較的安いホテルに落ちついた。「ティファニーに朝食を」で憧れた五番街を初めて歩き、ティファニーも覗きに入った。一番の目的は、ブロードウェイのミュウジカルを見ることだった。「レ、ミゼラブル」はチケットが買えず、「コーラスライン」を見た。

 歩いて行ける場所に、メトロポリタン劇場があった。「蝶々夫人」と書いているので、これなら、言葉がわからなくて内容は知っている。

 ブロードウェイ

 私が買った席は、二階の最後列の安いチケットだった。隣にいる女性は、感極まって何度も涙をぬぐっていいる。私も負けずに、泣いていた。二人で手を取り合って、素晴らしいわと繰り返す。ソプラノ歌手は日本人ではなく、アジアの人だったか、イタリアの歌手だったか。その時の感激から、「蝶々夫人」は、何度か、どこかで見ているので、印象がごっちゃになってしまっている。

「ある晴れた日に」という歌は、母から覚えたものだ。

  中庭にある桐の木の傍で、日の良く当たる場所を選んで、母は、オペラのアリアを歌いながら、洗濯板に洗濯物を押しつけて、ゴシゴシ洗っていた。父の油にまみれた仕事着の汚れを取るために。私が傍に行くと、手を止めて、得意げな顔を私にむけて、ますます朗々と歌い上げる。晴れた日に、洗濯しながら、プッチーニの「ある晴れた日に」を歌う母の面影は、私の切なさをかきたてる。

お茶目だったという母のお茶目ぶりを語るエピソードなら、泉の如くだが、ベートーベンを「ベントウベン」シュウマンは「シュウマイ」と教えてもらった。母が一番好きだというシューベルトの、呼び名はシューベルトしか知らない。

 私のオペラ好きは、おそらくその頃の、母の歌う、歌曲から来ているのだと思う。