明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

清原選手、ありがとう

悲しさと悔しさの涙から始まった、プロ野球人生は、喜びと感謝の止めどない涙で幕を閉じた。清原を囲む全ての人が、感動の涙を流した。

 今も、私の中で、「とんぼ」の歌声が聞こえている。誰もが、清原の美しいホームランが奇跡的に見られはしないかと期待しただろう。あわや、と思われた第三打席での球は、わずかに及ばず、長打の2点打だった。ホームランに匹敵する、いえ、それ以上に素晴らしいヒットだった。2塁まで走った清原のひざがぎしぎし音を立てて悲鳴を上げている声が聞こえた。

 最後の打席に入った清原は、バターを思いっきり、豪快に振った。足がよろけ前のめりになる。最後の最後、三振で終わった清原の願いは、やりきった爽やかな満足感と満面の笑顔があった。

 セレモニーの間中、清原は泣いていた。2筋刻まれた眉間の皺に、不屈の精神で自分と闘い、苦難と向かい合い、希望を捨てなかった男の勲章が刻まれていた。

 西部に入った頃の清原と、引退に望む清原の顔は、まるで別人のように変化している。清原が歩んで生きた人生が、どれほど大変なものであったか、どれほど人間として大きく成長してきたのか、その顔が、暖かく大きな背中が物語っている。

 桑田は、グラウンド裏の一般席で、清原の最後の試合を見ていた。野球フアンの一人として、甲子園のグランド裏で見守る仲間として、清原を見ていたかった。

「世界一のバッターです。清原には一言しか言う言葉はありません。ありがとう、と」

 清原ほど、真っ直ぐな野球選手はいない。真っ直ぐな人だから、直球しか投げられなかった、と対戦したピッチャーは言う。そして彼らは大きく成長して行った。野茂、伊良部、松坂。清原と関わりを持った人達は、生き方を学んで来た、という。

 王監督から花束をもらい「今度生まれ変わったら、必ず一緒のチームでホームランを競おう。」と言われた。病魔と闘い、死を乗り越えて頑張っている王監督だからこそ、清原の痛みがよく理解出来るし、王監督が真っ直ぐな人だから、清原の人格が理解出来るのだと思う。野球人として壮絶に戦ってきた凄い人だから、清原の実力を知っているのだと思う。

 人間が大きく成長出来るのは、過ちや失敗、不運や苦しみを体験してきたから。

清原は、「これからも野球に関わって行くと思う。選手達が他の人々が、苦しんでいる時、その痛みを理解出来る人間でありたい。」と語っている。

 

 人間としても、野球人生からの経験からしても、清原は、素晴らしい指導者になれると信じている。「野球界の宝」だから、その豊かな智恵と勇気を、野球にかける後進の人達に分け与えてくれるだろう。

 感謝、感謝で終わった清原の言葉は、私達の清原への感謝の木霊、ありがとうとありがとうの木霊。劇場空間とは、心と心の共感の場だが、まさに、10月1日の京セラドームは、心が響き合い、共感しあって、喜びと感謝で感極まった空間だった。