明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

「おくりびと」

 不思議の森

 この所、忙しい日が続いたのに、ブログは全く手つかずだった。時差ぼけの方はやっと正常に戻ったかな。

 元ドイツ在住で、今は本格的にイスランカに腰を据え始めた友人が、二年ぶりに京都で個展をした。8人集まった人達のうち、6人が喫煙者だった。家に帰るまではわからなかったけれど、下着までたばこの匂いが染みこんでいた。禁煙する人が増えているのに、彼女を取り巻く人達は、皆たばこが離せないようだ。ニューヨーク在住30年の女性、スリランカで画廊と商売を営みながら、日本でも本業に勤しんでいる女性、ドイツに本拠地を持ちながらも、バングラディシュ、インド、アフリカなど世界中を渡り歩いて来た女性、彼女達は、皆腹をくくっている。健康を気にしてタバコをやめるような事を考えたりしないようだ。楽観的で、おおざっぱで、懐が大きいとも言えるかもしれない。

 

 昨日、友人と別れてから時間があったので、久しぶりに映画を観た。「おくりびと」という日本映画で、モントリオール映画祭コンペティション部門でグランプリを取った作品だった。

 観て、泣いて、しみじみと心を打つ映画だった。人それぞれに、様々な人生があるけれど、死は、全ての人間に訪れる。その人を美しく輝かせ、この世の最後の別れをする死者を清め、死に装束を着せ、化粧を施す、納棺士という作業を通じて、人間の尊厳性が見事に表現されている。

 水辺を飛び立つ白鳥も、人生のしがらみや苦しみの中で、賢明に生き、死を迎える人間も、皆全て愛しく美しくも、哀しい存在だ。人間の死を自分とは関係のないように無関心に生き、納棺という仕事に汚らわしさを感じる人々は、自身の家族の死に直面し、厳粛に、心をこめて、死者の納棺までの作業を見つめるうちに、感謝とともに、自分自身の死を思いやるようになる。死者を弔う仕事をし、腐敗した身体に嗚咽するのに、クリスマスにブロイラーをむさぼるように食べられる。「困ったことに美味しいのだ。」と。

 

 私達人間もそういう事と同じだ。愛する人を失い、哀しみにくれているばかりではない。死者を食って、残された人間は生きている。遺産を残してもらう。生きている間は、けちだと罵倒していた人が、亡くなると急に神様のように言われたりする。死者は美しい。思いでの中で、死者は生きている。思い出は、生きている人の中で、膨らみ、より美化される。

 けれど、死んでいく人達は?美しく輝かせるのは、納棺士の仕事、人間が生涯かけてやる価値のある仕事をする「おくりびと」がいる。

 

 この映画は、納棺という作業を側面から捉え、死者をおくる「おくりびと」としての私達、全ての人間にスポットをあてている。だからこそ、モントリオールの審査員の心を深く動かしたにちがいない。