明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

Je t’ame moi non plus

http://www.youtube.com/watch?v=8oHBo3ZjA7k

Je t'aime moi non plus

梅田のテアトルで、デジタル、リメイク版のオリジナル作品。

34年前、1976年に初めて、スクリーンに登場したときには、衝撃的な内容で、話題になった。その後、ヨーロッパやイギリスでは、上映禁止になた作品。

日本では、7年後にフランス語ではなく、英語でカット版で上映された。

Je t'ame moi non plus は、もともとソングで、セルジュ、ケンズベールが、恋仲だった、ブリジット、バルドーのために作ったもの。当時、既婚だったバルドーは、この歌があまりにセクシーなので、外に出すことを禁じた。

恋に破れて、傷心のセルジュは、映画で共演した、イギリスの女優ジェーン、バーキンと恋に落ち、解禁を破って、69年に、彼女の歌で。

 歌が話題になり、1976年に、映画に。

ビザール、ラヴ、トライアングル。奇妙な愛の三角関係。

ホモの男達の前に、美少年のような、女の子が現れる。その娘を、ジェーン、パーキンが演じている。若くて、最高に美しくて、カモシカのように、細くて、

 豹のように、野性的な動きの機敏さ。

女流画家のオ、キーフが描く、動物の「骨」のように、セクシーな、パーキン。

彼女に美少年の「美」への憧れと欲望を抱く、ホモセクシュアルな青年も、顔立ちが美しく、ナルシスト。

彼が、彼女に惹かれて行くのを、嫉妬にかられる青年は、犯罪者的性格で、暴力的出自虐的。劣等感の強い存在だ。

欲望の三角関係、という命題を、映画化したような作品。

画家志望だった、というだけに、映像が、美的感覚にあふれている。

彼の「美」の追求が、愛と欲望というテーマで、あくまでも美的なものを追求しているのだろう。

映画の中で、彼女は、「愛している、愛している、あなたも私を愛している?」と尋ねる。

彼は答える

「共に、同時に、エクスタシーに達することが出来るのが、愛の最高。滅多にあるものではない。」

愛している、と思っている時、愛は終わっている。過去のもの。夢の中、感極まって、共感の中にあるとき、そこに。、愛は存在している。愛は瞬間的なもので、美的感覚に通じている、とセルジュ、ケンズベールは、言いたいのだろう。

愛に、ホモセクシュアルという、限定されたものはない。愛は、欲望のトライアングル。

「昼顔」という映画で、実直で誠実な夫に、不満はないけれど、欲望の沸かない、主婦が、娼婦宿で、おぞましい男達に身を任せる。そういう自分の罪の意識が、夫をより深く、愛しくさせる。これも欲望の三角関係を描いたもの。

 出演者も、映像も、小道具も、背景や、ゴミ捨て場、運搬車に、さびれたカフェ、全て、美にこだわった作品。

 追記

 ジェラール、ド、バルデューは、若いとき、とてもハンサムだったんだ、と感嘆。

 美は過ぎ去る。

 去年の雪、今いずこ フランスの古い詩を思い出しました。