明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

学問とは何か?

 

NHKの、ドラマの中で、

 息子を予科練から、特攻隊として死なせた母親が言う。

「私に学問があったら、息子が考えていることを理解することが出来たのに。」

息子の親友は答える。

「学問がなかったのは、国です。」

 

戦前の日本は、多くの文化人、芸術家、思想家が、引っ張られ、獄中に入れられ、ひどい拷問にかけられました。

人間を大切にする言葉を発すると、民主主義を唱えると、戦争はいけな事だいうことに通じる言葉を発すれば、「非国民 」と非難されました。

西洋の書物、文化、芸術、哲学書、あらゆる西洋の学問は「非国民」の対象になりました。

帝国主義を推し進めて、戦争に、国民を駆り立て、戦場に送り出し、命を道具をして扱い、死なせたのは、軍総本部の陸軍の指揮官達。

彼らは、戦場で戦う兵士達を、、玉砕という美化した言葉で、兵士達を見捨て、全滅自決させたのですが、何故そのようなことが出来たのか、と考えると、

私は、天皇、という、人間とは一線を画した、崇められる旗印があったから。

大衆の無知を、煽るのは、何時の時代にも、権力の力です。

先導という形に、人々は踊らされ、なびいていく。権力のあるものが、正しい知識と、人間重視の思想に守られていれば、戦争を回避出来たでしょう。

天皇」という、神を使うことによって、国民を戦争に送り、玉砕させることが出来たのだ、と思うのです。

 宗教戦争で、人々は、「神の」為に死んでいきます。宗教戦争におけるおびただしい、血染めの戦いは、「神」が望んでおられる、神の使命だ、神に守られている、という信念がバックにあります。そして彼らは、聖書を読む、あるいは聞く以外に、学問がないのす。

学問、とは?と考えると、私は、学んだことに、疑問を問いかけることだ、と思うのです。疑問が、また学びに。そして、最も大切な問いが、いつも頭をもたげる。

 人間存在、とは何か、という問です。

 人間が、人間であることに意味を問うのでしょう。

 そういう問いに、判断停止をかけ、禁止しできうるのが、「天皇」という存在です。

天皇、という存在が、戦後の民主化によって、国民の象徴として、残された。

天皇を、神格化して、崇める人々が多くなってきている現状を、私は怖いと思っています。 国が、貧しくなり、行く場がなくなると、略奪が、侵略が始まる。

 北朝鮮では、餓死状態に苦しんでいる人達は、早く戦争が始まれば良い、と言っている。 軍部の強制は、もはや効かなり、統制がとれなくなっている。

 北朝鮮は、天皇がいないので、独裁者は、いずれ滅びる。同じ人間として、罰せられる。

 日本は、最高の責任者である、天皇が、責任を取らされることがなかったのは、

人間とは違うからです。

 現在も、天皇に対する発言で、小沢さんが、非難されていたのは、天皇をないがしろにした発言だ、ということでした。

 多くの日本人が、天皇を、人間とは一線をかくして観ようとしている。ある種の権力の象徴としてみようとしている。

 これは、民主主義にとって、危険をはらんだことなのでは、ないでしょうか。