明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

ある日の母の表情

 

母は、一番最悪なことは、死ぬことだ、と言います。

 「死んでしまったら、大変だものね。」と私は、母に同調します。

 「そうよ。焼かれるのなんて、嫌だわ。とんでもないことになるわ。」

私が車で帰るときも、歩いて帰るときも、怪我をしないか、悪い人がいないか、心配で仕方がないようで、死んでしまったら、取り返しがつかないのだから、と言うのです。

 一人で、部屋に居るときに、母が考えていることは、人間の死について、なのかもしれない。死ぬまでに、しておかないといけないことが一杯あって、家に帰らなくちゃ。

明けても暮れても、タンスの中のものを、出しては、移動して、入れ替える作業に余念がないようです。

でも、そればかりではありません。

今日は、補聴器 の電池がもうなくなると、介護士さんから言われていたので、補聴器のクリーニングもしておいてもらおうと、母を連れ出したのですが、ホームのエレベーターに、背の高い、ハンサムな介護士と一緒になりました。

母は、彼の手を取って、嬉しそうに言うのです。

「大好き。大好きよ。」手をつないで、ゆらしながら、母は、ハッピーそのもの。

「お母さん、あの男の子が好きなのね。」というと、

「そう、ここの男の子は、皆、可愛い人ばかり。親切だから、大好き。」

と言って、2,4分も経つと、さっき男の子がいたことをすっかり忘れてしまっています。「え?そんな子いなかったわよ。家には誰も来ないよ。」

補聴器をクリーニングしてもらっている間、眼鏡を買わなければならないのでは、と心配して、

『私は、何もいらないのよ。お財布も持って来てないし。」と高い買い物は出来ないので、そわそわ。

「あなた、なにかほしいものがあれば、買えば?」

 帰りに、イカリスーパーによって、果物とママレードを買ったのですが、母曰く、

「私は、こんな果物を食べたことがないわ。全然食べてないから、あなたほしかったら、買えば?」

「果物はいつも預けているのよ。お母さん、出してもらっているでしょ。今日は何が良いの?」 

と尋ねても、食べていないと言い張って、ぶどうも、なしに、りんご、みかんと好奇心満々なのに、自分にはいらない、あなたがほしいものを。」

娘に持って帰らそうと、母の愛は、惜しみなく子供に注がれているのです。

 母は、「なんとも美味しそうだな。こんな美味しい果物を、食べたことないわ。ぜんぜん、食べたことないわ。』そう思いながら、お金が勿体ない、自分は我慢して、娘に食べさせてあげたい、美味しいものだから、と果物に目が引きつけられています。

 冷蔵庫に入れておくと、一度に食べてしまうので、介護士さんに預けて、果物が好きだから切らさないように、買ってもらうようにも、頼んでいるのです。

 果物と言わず、甘いもの全般、なければ、砂糖や、コーヒー用のミルクまで、食べてしまうのです。棚の上に置いていた、お菓子も、冷蔵庫の中に入れているものも、行くたびに、綺麗になくなっていますが、本人は、何一つ食べたことがないと思っています。

考えてみれば、暢気なことで、死ぬことも、それほど深刻なわけではなく、死なない、と思い込んでいるのかもしれません。考えても、すぐにそのことを忘れたり、死なないわ、という結論になるのを、繰り返しているのかもしれません。

娘とすれば、母が、不死身で、長生きして、美味しいものを美味しく感じ、食べたいという欲望を大切にして、可愛い男の子に胸、キュンな若い心でいてくれると、これほど幸せなことはありません。