明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

特捜検察は廃止すべき

  

特捜検察は、廃止すべきだ。強力な権力を持つ者は、必ず腐敗する。特捜は、完全に腐敗状態にある。

冤罪は何も今に始まったことではなく、証拠の隠滅も、前代未聞の出来事ではない。戦中に、軍事政権下で、民主主義を弾圧し、民衆を食べさせない為に、特別の権力を持った、特効検察が、そのまま、戦後も、闇取引を摘発し、赤思想を押さえ込む為に、検察の権限を残していた。特捜部は、解体すべきだ。

検察が提出する証拠書類が、法廷において、有効とされるのは、民主主義国家において、日本だけである。

裁判は、あってなきがごとくだった。検察の証拠が、裁判官の判断の基準になっていた。

起訴すれば、99パーセント有罪が確定する。そんな馬鹿なことが、当たり前のこととして、国民に支持されてきたのは、ひとえに、検察イコール正義だと信じられて来たからだ。

 無理で強引な取り調べが、戦中のみならず、前後も延々と続いてきたことを、知っている記者達は、陰で話はしていたものの、表沙汰にはしなかった。新聞に一切書かなかった。書けば、ニュースソースが絶たれるからだ。

 小沢さんの問題にしても、記者クラブの大手各紙は、検察からのリーク記事を載せて、1年半におよぶ、小沢さんを犯罪扱いするような記事を書き続け、検察審査会で、強制起訴が出ると、翌日、一斉に、小沢さんが議員辞職をすべきだと、一面で報じている。

 それは何故か?

小沢さんを政治の世界から抹殺する為だ。自分達が書いてきた事を正当化するため、検察と一蓮托生になってやっている、自分達の利権が脅かされることを恐れて、利権どころか、中立で、公明正大であるべき、ジャーナリズムの本質に、反して、権力に迎合してきた、ジャーナリストとしてあるまじき存在であることが暴露されることを恐れて。そして、何よりも、新聞を売るために、国民の喜びそうな記事を書こうという卑しさから。

彼らが、民意だ、と言うところの、彼らのねつ造を、隠し通す為。

 ジャーナリストというのは、あらゆる権力に迎合することなく、フリーの目で、公明正大を胸として、自由に書く人間のことを言う。

 検察も、裁判官も、間違いをしでかす。金権に動かされる。密室で行われること

は、何も信用出来ないのだ。

検察審査会のメンバーも、そこで何が行われていたのかも、何もわからない状態で、国民が、これを正義だと支持する根拠は、何なのだろう。

検察は、正しい。新聞は本当の事を書いている。それにつきるのだ。

誰が被害者なのだ?

私達、国民だとわかっていますか。私達の税金で、養われている、特捜検察、検察官、裁判官、私達の購読料で、養われている、新聞記者達、

私達に権限があって、彼らにはないはずの権限、彼らが威張っているのは、とんでもない。私達は、常に、疑いの目で、彼らをチェックしなければならないのに、

現実は、逆転している。

戦時中、国民がだまされ、丸め込まれ、信じ込まされた、恐ろしい権力構造が、今も、存在していて、権力をふるっていることを、私達は知るべきだ。

目に見えるもので判断しなければならない。取り調べの可視化、記者会見のオープン化、検察の権限を取り払うこと、フェアーな土壌で、行われることは、たとえ、間違いはあっても、最小に防げる。あらゆる人間が、公正な機会と権利を有することが出来るように変えていかねばならない。それが出来るのも、国民の民意なのだ。

 特捜の様に、特別の権限を持った、検察組織は、いらない。