明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

海老蔵は、悪の華

   

海老蔵さんの会見を見ていると、神妙な様子をしているのも、演技のように思えて仕方がない。

 私には、パリで見た海老蔵さんが、本来の姿であるように思える。

丁寧で、謙虚な父親の横で、ブーツの紐を外し、靴を開いた状態で、足を投げ出して、傲りの目立つ海老蔵は、インタビューに答えていても、横暴な感じで、関係ないとはいうものの、日本の代表として、世界の人々の前で、あのような態度を、父親である団十郎は、なんとも思わないのだろうか、それほど甘やかして育てているのか、不思議に思った。

 海老蔵とは違って、亀治郎さんの、すがすがしく、自然な好青年ぶりに、私はすっかりフアンになってしまった。

 踊りの名手で、歌舞伎界の改革者として先頭に立ってきた、市川猿の助を叔父に持つ、亀治郎さんの踊りの魅力は、並外れていて、演技も素晴らしい。彼はフランスにも留学していて、フランス語も上手なのだけれど、全く謙虚で、同じように、別の機会に、日本文化会館での、コンフェランスで、二人を見て、その違いの大きさに驚きを隠せなかった。

その後、結婚が決まって、以前の海老蔵さんの人間性が変わったのかと思ったら、本質はそのまま変わっていなかったようだ。

 菊五郎さんが、「歌舞伎役者になるのなら、父親はいないと思え、と菊之助に言った。」とコメントしている。

 私は、歌舞伎を観に行った時に、楽屋見舞いについていったことがある。玉三郎

さんが、役者さんの部屋に挨拶に回っていた。

 歌舞伎界の上下関係は、非常に厳しく、礼儀を重んじる。父親は、子供に甘くなるので、他の人に預け、厳しく鍛えてもらう。

團十郞さんは、早く父親を亡くし、父親から、芸を受け継ぐことが出来なかったので、息子を手元から手放すことが出来なかった、それが甘やかす結果になった、と語っていたことがある。

 昨夜、コナミに行くと、プールサイドの乾燥室で、三人の女性が、話題にしていたのは、海老蔵さんの話。

 とんでもない悪い人間だ、と気炎をあげている。真面目な可愛い奥さんをもらっていながら、キャバクラで、指名された女性が、テレビに出ていたとか。

 人間性がなってないから、一緒に飲んでくれる人がいないので、ああいう人達しか相手にしてくれないのだ、と。

 

海老蔵さんの可能性は、伝統を重んずる、古いカ歌舞伎界から、革命的で、計り知れないものがあるのも事実。

型にはまらない、自由で想像力豊かな、天才的な才能を神から与えられているのも事実。

歴史上、偉大な芸術家が、人間性において優れているとは言えない人も多い。

悪に魅せられ、溺れる、サガは、神の才能を表現する泉にもなっている。

 海老蔵さんのような人は、鎖をつけて、萎縮させては、才能が死んでしまうのでは、という懸念もある。息苦しい世界では、生きられない人だろう。

芸術と、社会性とは、相反するもの、海老蔵さんの、大胆不敵で人を馬鹿にしたような態度が、真から謙虚で大人しくなれば、彼の芸術もつまらないものになるだろう。

 悪を含んでこそ、芸は花は開く、そういう人のようだ。誰が傷つくのか。本人自身。ずたずたになりながら、吠えながら、海老蔵という、比類無き才能が、発揮されるのだ。 悪の華なのだろう。