明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

人間と動物の関係

  

 動物を飼ったことのある人にしかわからない、愛犬を亡くした悲しみ。

3年くらい前に、友人の家を訪れた時に、飾り棚に飾っている、犬の写真を見

ながら、語ってくれた。

 

 どこに行くにも一緒。車に乗せて、海水で遊ばせる為に、海にでかえたこ

と、亡くなって、剥製にしたかったこと、など。

昨年、弟が飼っていた犬が亡くなった。お葬式をして、お骨を部屋に置いてい

る。犬の思い出を話せば、家族で泣いていると聞いた。

喪中だからと、年賀状は出さず、おせちも祝わなかったとか。

今日、ある方からの電話があった。愛犬が亡くなって、悲しくて、泣いてばか

り。今まで体験したことのない、悲しさと寂しさだ、と。

私にか、彼らの悲しみがどれほどのものであるか、どのような悲しみであるの

か、わからないけれど、深い悲しみと寂寥感に包まれていることは、想像の範

囲でわかる。

人間以上に、親の死以上に、何故、と言えば、「本当に、何の利害関係もな

く、純粋に、飼い主を求め、尽くしてくれたから。そして、言葉を話せないか

ら。」だろう。

この世の中で、それほどまでに、自分を捨てて、尽くしてくれる人間はいるだ

ろうか。

親子であっても、最愛のパートナーであっても、それそれの自我をぶつけ合

い、傷つけあう言葉も投げ合い、自分を優先して考える。

人間の性であり、人間が自我を持ち、言葉を道具として使う、動物であるか

ら。どんなに人間の死が悲しくても、その人が納得しているだろうから、と

か、好きなこともやったから、とか、自分を納得させることも可能だが、

言葉を使えない犬は、目と身体で、鳴き声で、人間とコミュニケーションをす

る。飼い主に寄り添い、飼い主を待ち、飼い主に忠実で、食事を与えられるま

でひたすら我慢する。

どんなときにも、犬は裏切らないで、飼い主の家族を守ってくれる。愛してく

れている。

だから、犬を亡くした悲しみは、人間を亡くした悲しみよりも、ずっと遙かに

深いものがあるのだろう。

けれども、その反面、新しくやってくる犬や猫に、心が注がれるようになる

と、亡くなった犬猫は、忘れられる。

人間の場合は、そうではない。思い出も、存在感も消えることはない。むしろ

大きく、絶対的な存在になる。暴力をふるい、粗末に扱い、嘘と裏切り、

迷惑をかけたご主人は、死んでしまった妻に、償いことは出来ないで、生涯苦

しむ人もいる。それが犬や猫に対してはないだろう。

愛憎の深さは、人間間にしか存在しえないもの。動物を本当に愛していると 

か、愛していたとかでは計れないのではないか、とも思う。