明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

NHKハイビジョン「2人の旅路」

 

NHKのハイビジョンで、「2人の旅路」というドキュメンタリーが放送された。

日本人と父と中国人の母親との間に生まれた、可愛い女の子の名前は、茉莉。ハンサムな父と、美人の母親、茉莉さんは、とても美しい女性で、若い頃は可愛く、今も、凛とした気品と美しさがにじみ出ている。

 夫は、京劇の看板役者で、素晴らしい人柄が、生き生きした目と、穏やかで、明るい顔に表れている。

 素敵な夫婦だな、こんなに、愛し合い、いたわり合って生きて来た夫婦がいるのだ、と感無量だった。

 日中戦争から、日中友好条約の締結をへても、日本人の子供だということで、迫害を受け続けてきた茉莉さん。彼女も京劇の女優だった。

 2人は写真と文通だけの長い期間を経て、文革の嵐に、堪え、彼が京劇俳優として住んでいる、町で、結婚後3年の別居生活を経て、一緒に暮らすようになる。

 茉莉さんが、日本人であることをひた隠しにして、演技の勉強に励み、文革の最高の主役も務めるほどの人気女優であったが、日中友好条約が交わされ、中国の遺児達が日本に行くようになり、茉莉さんも、父親の消息を尋ねる。

父親から、英文で長い手紙が届いた。

 父親は、収容所に送られ、その後日本に。現在は、ベネゼーラで会社を経営している、

 片時も、茉莉さんを忘れたことがないこと、消息がわからないまま、待つことを諦めて、結婚したものの、不幸な結果に終わったこと。茉莉さんの、母親のような女性には、巡り会えない。2人は、二枚貝のようだったと。

京劇の公演で、日本に訪れた時に、父親が、亡くなったいう知らせを受けた。

 京劇の役を妬む、同僚達からは、日本に帰れとののしられ、日本のスパイだと言われ、

茉莉さんは、追われるように日本に移住を決めた。

 夫は、京劇を捨てて、彼女と共に、日本に。職業訓練を受けて、中華料理の店を出すが、茉莉さんが、過労で倒れて、以来、中国孤児の生活保護を受けて、暮らしている。

 中国を出て、20年という歳月が流れ、故郷の劇場が解体される前に、最後の舞台を務める機会が訪れた。

 夫は、茉莉さんとの共演を望んだが、彼女はどうしてもその役を演じられないと断った。 覇王別姫 という題目で、夫にしか演じられなかった、作品で、彼らが去ったあと、誰も演じることはなかった。

 戦いに破れ、追い詰められた王は、共に逃げようというが、姫は、足手まといになるから、と、自ら死を選ぶ。悲しい別れの舞台だからと、演じることを拒否した。

 20年の空白があっても、覇王の演技は、完璧で、より感動的だった。

茉莉さんを思い、茉莉さんへの愛情を、演技にこめたからだ、と夫は言う。

 

 茉莉さんが、「夫が中国にいれば、京劇俳優として、芝居が出来て、ずっと豊かな生活が出来たのに、と申し訳なく思っている。」と言うと、

夫は、

「人間が生きて行くのに、苦労することは、誰でも、当たり前のことなのだよ」と笑いながら言う。

茉莉さんはこれまでの人生を、自分は不幸だと思ってきたけれど、父親の手紙から、父母の方が、遙かに、不幸だったのだと。

2人は、互いの健康を心配しながら、共に、生きて行く幸せを大切にしながら、冬の福岡で、暮らしている。わずかなお金で、やりくりしながらも、2人で分け合い、何処に行くにも一緒に、寄り添って、静かな、暖かさが伝わって来る。

アパートに、つがいのカナリアが。2人のように。