明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

映画「私を離さないで」

 

「私を離さないで 」映画を見て、衝撃を受けた。

http://movies.foxjapan.com/watahana/

映画の導入部分から、引きこまれた。1978年にしては、古風で、スコットランドのハイランドのような雰囲気。年中どにょりとした灰色が漂っている。

寄宿舎の校長以下、先生は、年老いて暗い。異様な目つき。

寄宿舎生活をしている子供達は、久しぶりに若い女性の教師が赴任して来て、喜ぶが、彼女は、子供達に、真実を告げて、学校を去る。

「普通の子供達は、大人になって行けば、アメリカに行って、弁護士になったり、電車の運転手になったり、自分の未来を、自らが決めて、生きていくのだけれど、ここの生徒達は、行き先を決められていて、ドナーとして、若くして死ぬことが決められていて、長くは生きられない。」

 男の子から仲間はずれにされている男の子に、心惹かれる、仲良しの女の子2人、3人の心の葛藤を通して、ストーリーは展開していく。

 この子供達は、オリジナルの人間の、DNAから造られた、コピーなのだ。

 映画の中では、1950年代に、ドナー法が制定され、1990年の平均寿命は100才を越えた、という言葉から始まる。

 主人公の女性は、介護士になって、8年、ドナーの心身のケアーをしながら、終了を見守っている。彼女は、3人の子供の一人だった。

 

 この作品は、格調高く、非情に抑えた節度につちかわれていて、恐ろしい内容が、実は、人間の生きる意味を、心に深く問いかける。

子供達は、学校で、デザインや絵画、創作活動をしている。ギャラリーに出すためと言われ、時折、その作品を選び、持ち帰るマダムがやってくる。

 3人がいた寄宿舎は、特別待遇があって、本当に愛し合っているカップルが申請すれば、ドナーを延期してもらえると教えられる。

 ギャラリーは、心を試しているのだと、愛し合う二人は、作品を持って、校長を訪ねる。

 校長は、そんな事実はないことを告げて、ギャラーは、心を確かめるのではなく、子供達に、心があるのかを調べるものであったと言う。

 コピーとして造られた存在が、人間のように、心があるのか、と。

3人の子供達は、心の葛藤に、傷つき、悩み、愛し、嫉妬に苦しんで、成長し、ドナーとして、人間の延命を支えて、役立つことで、終了する。

 コピーを造り、生きながらえたいと欲望する、人間にも、死はまぬがれない。

 それを支える、臓器を提供する為に造られたコピーも、終了という形で死んで行く。

 生きる意味を知らずに、死んで行く人間達。

 生きるとは何か。

造られた存在である、コピーとしては人間の役には立つけれど、ドナーとしてやがて、終了する彼女は、愛しあった場所に立ち、待っていれば、彼は自分を求めて、探しにやってくるだろう。心を交わし、愛を知ったことで、幸せだと思う。

命が永遠であるのは、愛する人を想い、魂をふれ合い、心に生き続けることで、未来永劫が存在する。人間に備わった、想像力の深さ、無限の広さ、愛と真心の真実なのだ、とこの映画は、生きる意味を、私達に問いかけている。

作者はだれなんだろうと、想ったら、カズオ、イシグロ だった。

全く、どんな映画化も知らずに、時間があって、衝撃的だけれど、素晴らしい映画を見ることが出来た。