明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

子供達に年間20ミリシーベルトの許容量とは

 

原口さんは、昨夜のインサイド、アウトに続き、今日のお昼、朝日テレビにも出演して、子供に対する、20ミリシーベルトを、1ミリに変更させなければならないことを訴えた。 先日、参与に選ばれた、東大の小佐古教授が、子供の被曝量があまりにも緩すぎると、涙ながらに訴えて、原子力安全委員会を辞めた。この人は、原発推進派で、小出助教とは全く反対の立場で、浜岡原発は安全だと言い続けて来た人、でさえも、研究者としての生命が絶たれるような、数値を受け入れるわけにはいかない、と言うほど、子供達の生命を脅かす、恐ろしい数値が、20ミリシーベルトなのだ。

http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/04/25/tanemaki-apr25/ 

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=tpMTeIj-2vg

原口さんは、政治家として、将来子供達が、あの時こうだったから、こうなったという状況を見ることは堪えられない。これを許していることは、政治家として生きてゆけないなんとしても撤回させ、世界基準の1ミリシーベルトに変更させなければならない、そのために、菅総理の決断を迫るが、菅総理と何度か話し、アドバイスしてきたけれど、菅総理は、「出来ることしか約束出来ない。」と言う。

安全委員会では、20ミリシーベルトだなどと言ったことはない、と言っている。だとしたら、誰が、どんな思惑で、この値を決めているのか?国会での、森議員の質問には、安全委員会の判断に添ったもので、実際には、これほどの放射脳が出ているわけではない、などと答弁している。

事実は、私達が思っているよりも遙かに深刻なのではないだろうか。出来るならば、年間20ミリシーベルトなどという、膨大な危険性をはらむ量を、許容量に持ってくるはずがない。

すでに、十分、そういう危険な量が、実際には出ているか、必ず出てしまう可能性が非情に高いのではないだろうか。

 どうしようもない、というのが、本当の所なのではないだろうか。打つ手がなく、だらだらと放射脳を垂れ流している。

低レベルという、まやかしの言葉を使って、安心させようとしているが、そんな言葉は、原子力知識のある人達には、通用していない。

 何もわからない、政府の言うことを信じている国民だけが、それならまだ大丈夫なのだろう、なんて、暢気な考えでいるのだ。

 実際に、なって見なければ、被害を肌で感じなければ、他人事なのだ。その恐ろしさを十分知っている専門家の中で、小出さん達のように、原発をやめさせるために研究を続けてきた人はもとより、危険性を知りつつ、国策に乗って、原子力を推進し、研究費をもらい、生活をかけ、科学の進歩が、原発の危険性をカバー出来ると信じてきた研究者達の1人であった、小佐古さんも、許せない、危険きわまりない許容量なのだ。

 小出さんが恐れた、悪夢を見ているような、現実がおこり、今もおこり続けていて、こうなってほしくないという方向になっている。つまりは打つ手がないということなのではないのだろうか。

だとしたら、菅さんであろうと、他の誰であろうと、手立てはないのかもしれない。

毎日、ラジオで、小出助教に意見を聞いているけれど、東電は取っている、或いは取ろうとしてる方策について、「出来れば良いけれど、たいして意味がないだろう。」とか「出来れば私もそうなればよいと祈っているけれど、」という返答ばかりで、最悪の事態としての、水蒸気爆発が起こらないことを祈っている、ということから、逃れられない状況が続いている。

 事態は、深刻なのだ。現在も原発は動いている。死の灰が、日本全体を覆い尽くす時が、次第に、じわじわとやってくるのではないだろうか。

 じわじわと、目に見えない敵が、日本中の人々を汚染してしまっても、兆候として現れる人もいれば、いない人もいる。

子供を守らなければならないはずの大人達は子供達は、子供を犠牲にして生きている。

  大人達が生きる為に、子供を売り、売春をさせ、盗みを強要してきた歴史的事実がる。今でも、世界のどこかで現実に行われている。 

食料を与えられずに、飢餓や病気で死んでいく子供達がいる。

原口さんが、澄んだ目で、怒りを込めて、テレビの前で、訴えても、少数派の意見として、押しつぶされるばかり。

 小出助教は、どうすればよいのか、わからないと言う。子供達を隔離して、親と離すことが、子供達に取って幸せなのかどうか、と。

絶望的な状況に中で、打つ手がないのだとしたら、遅かれ早かれ、日本全体が、放射脳を避けられないのだとしたら、親と共に暮らすのが幸せで、生活の基盤を築いた場所で、生きて行くことが、選択されるだろう。

日本の何処にも、やがて安全な場所がないとしたら。再生の道はないのではないだろうか。

私も、原発が無事に治まり、人々が再生出来ることを祈っている。