明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

歩いてパリを知る

 

 墓地から、サンジェルマン・デプレの方角に歩き、ルクサンブルグ公園に出

て、パンテノン神殿、植物園を経て、帰って来ようと思って歩き始めた。

 デュラスが住んでいたのも、サンジェルマン、デ、プレ。サルトルとボーボ

ワールが、夜を徹して議論した界隈でもあり、知識人のサロンになっている、

 ドー、マゴというカフェや、海鮮で有名な、ドームなど、モンパルナスと

デ、プレは、目と鼻の先。

 セーヌを挟んで、右岸と左岸に別れている。左岸は、大学の町として、知識

人が住んでいた。

 右岸といえば、金満家のブルジョワの町、シテとマレー、マレー地区には、

ユダヤ人地区があるのでも、想像がつく。

 芸術を語り、作家や、演出家、思想家など、お酒とたばこ、眠気を遮る、カ

フェがなくては、様にならない。モンパルナスや、デ、プレは、深夜も生きて

いる町。

デュラスが、「広島、わが愛」の中で、ヒロシマを、眠らない町、という表現

を使っている。パリの中でも、左岸は、眠らない町だ。

パリの中は、歩いても回れるくらいだ、と言われている。

自分の足で歩くと、町がわかってくる。途中で、発見することも

多い。美味しそうなレストランとか、安いホテルとか、、スーパーや

チョコレートの老舗だとか。

 ルクサンブルグの公園を抜けて、出てきた駅は、特徴があってすぐに

わかった。

 私が、初めて1ヶ月の長期でパリににやってきた時に、泊まった安宿のある

駅。毛皮の上に、レイン、コートを羽織って、地下鉄を上がったり、下りたりし

ながら、たどりついた駅だった。

 元気だった、あの頃が懐かしい。どんな体験でも、過ぎ去れば、甘く切な

い。

 その頃と同じ名前の、サニーホテル。アメリカネームは、当時珍しかった。

部屋にシャワーがなく、鍵をもらってはいる。部屋にあるのは、ビデだけ。

 語学学校で、家庭滞在をやめて、ホテル暮らしを撰んだ。

サンミシェルまで通っていた。

 サニー、ホテルは、以前は星1つか、星なしなだったか、今は綺麗になっ

て、2つ星のホテルに変身している。バスタブ付きか、シャワー付きのホテ

ル。シングルだと、80ユーロは高い。

 この近くにあった、ホリデーインも目茶な値段をつけていたら、つぶれて、

次に入ったホテルは、週に800ユーロ、ネットではもっと安くなるはずだ。

サニーホテルは、ゴブラン駅の方が近い。ゴブランからプラスイタリーまでは

すぐなのだけど、従姉妹にもらった、いいじくのジャムを忘れているのを取り

に行きたくて、オルリッツ駅の方に歩いた。

こんな所に、カルフールがある。安いと言われる大型のスーパー。

腰が張ってきて、疲れがひどくなっている。かれこれ4時間歩いている。

途中で折れて、アパートの方角に歩いた。

地下鉄が走っている。アパートに近そうだ。

 途中で、ホテルの値を見ながら歩いていた。それも70くらい。

ホテルと書いている、星なしのホテルがあった。

 シャワーなしが、35ユーロ、シャワー付きで43ユーロだ。

どんな感じか? こういうホテルもある。 

犬も歩けば、棒に当たる。

吉田さんの近くに、安くて良いホテルがあると聞いていた。

日本からの客に紹介するホテルだと。

ホテルは知らないと、値段に随分な差がある。

値段ばかり高くて、とんでもない、ぼったくりホテルもあるから

ご用心。

すぐに帰るつもりだったが、従姉妹とまたおしゃべりしてしまった。

彼女は、すごく逞しい、商才にたけている。

フランスは、果物の宝庫、甘い物好きなので、ジャム作りに凝っていて、

美味しいジャムを日本に輸出する計画が進んでいる。試作中らしい。

レストラン誌に、グルメの店として、大きく写真で紹介された。そこには、女

シェフの顔が映っていた。様々な顔を持つ人だ。