明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

小沢さんと橋下さん

 

 なんだかんだ言っても、話題の中心になっている小沢さん。

 もういいかげんに小沢さんを話題にするのは、やめよう、終わった人だ、と言いながら、 相変わらず、新聞、テレビは、小沢さんを取り上げて、潰しにかかっている。

  

  これからも、小沢さんが、政界を揺るがし、国民が選択出来る政治の実現に向かって、 行動を起こしていくことへの懸念があるからだろう。

 石原都知事は、小沢さんを毛嫌いする発言を飛ばしているが、橋下さんは、同調していない。

維新の会の幹事長で、大阪府知事は、連携することはありえない、と発言しているが、それにも、橋下さんは、同調していない。

 むしろ、これまでの発言を聞いていると、小沢さんを支持している。

 橋下さんの行動力と決断力を、小沢さんは、高く評価する発言をしていて、「橋下さんが国民の支持を集めているのは、民主党がかかげてきた政策で、お株を奪われているようなもの」だと発言していた。

 小沢さんの政治改革の根本は、霞ヶ関の解体と、地方分権だ。

 地方に財源を移譲して、地域の住民が、自分達の為に、よりよいように、お金を使えば、 今までの3倍にも、生きたお金の使い方が出来る、と。

  地方の自治、国は、国でしか出来ないことをやればよい。外交、防衛、等の国を動かす仕事をやる。地方のことは、その住民が何が必要なのか、どうすれば、自分達の住みよい街に出来るのかを一番良く知っている。

  小沢さんと、橋下さんとの違いは、橋下さんは、強いリーダーの意向で、国民を動かそうとするが、小沢さんは、国民の声を、国民が何を望んでいるのかを、吸い上げ、 国民に変わって、選挙で選ばれた、政治家が、国民の幸せのために、働くという点において、大きな違いがある。

 小沢さんの一見、優柔不断で、弱気だと取れる発言や行動は、それを表している。

 民主党で、窓際に置かれ、手足を奪われ、裁判の被告にまで、という酷い仕打ちに対しても、「私はなんらやましいことはしていない。」と言うだけだ。

 小沢さんは、全て、国民の判断に任せるという姿勢を貫いているからであり、

マスコミや権力の暴走を変えて行くのも、国民なのだ、との「公僕」に徹した姿勢の現れなのだ。小沢さんは、決して自己弁護をしない。政治家としての小沢さんを判断するのは、国民だと思っている。

 橋下さんと、小沢さんに、人間としての、政治家としての、違いがあることは事実であるが、「国の形を変える。地方分権にして、国のお役人が、政治を動かしている今の日本を、根本から変える。」という一点に絞って、二人の力が大きな原動力になると

 私は期待している。誰がなんと言おうと、橋下さんは、小沢さんを尊敬しているのは確か だ。自分にないものを小沢さんは持っている。

 父親の顔も知らない橋下さんが、小沢さんと会って「父親」のような理想像を描いたのではないだろうか。

非情に魅力的な人、優しい人、すごい人、大物という印象を強く受けた。

そういう意味では、石原都知事に対しては、違っている。自分に似ていて、自分の嫌な部分を見ているのではないだろうか。

つまりは、自分の嫌いな父親の部分を。

だが、橋下さんは、場を読んで、世論の動きを読んで、自分の有利なように、駒を使うだろう。

小沢さんは、それを知った上で、自分が駒になっても、と思っいるのでないか、と思う。

もともと、脇にいて、支えるように働くことは自分に合っていると思ってきた人だ。

 橋下さんは、若い人に重点を置いて、未来の為に、年寄りは切り捨てていく考えだ。 弱肉強食で、這い上がって来た人だ。二者択一をしながら生きて来た人だ

 

お年寄りへサービスは、どんどん切られているので、年寄りのマグマが貯まっている。無駄な部分と橋下さんが思っている所が、人間の幸せの為に大切なものがある。芸術活動は、援助無くしてやれない。素晴らしい芸術家は育たない。

小沢さんは、自由と「共生」ということに重きを置いている。お年寄りの知恵と力を化借りて、若い世代が共に、生きて行く社会でなければならない。この国に生きて、誰もが幸せであると、感じられる社会でなければならない、と小沢さんは言っている。

 誰もが、生きて幸せだと思える社会を実現すること。アメリカからの真の独立、世界の中の日本の「自由」と「共生」に重きを置いている。

 アメリカの意向で、官僚が、政治家を操作している、中央集権を打破し、国の形を変えることが出来たら、初めて、国民の意思と判断で、国を動かすことの可能な体制が出来る。それをするのは、国民の選挙以外には方法はない。民主主義を貫くならば。