明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

南座顔見せ、勘九郎襲名公演

     

  今年の顔見せは、行かないつもりだったが、勘三郎が亡くなって、勘九郎と七ノ助がどのような演じ方をしているのか、観たくなった。

 夜の部の、船弁慶と口上が観たかったけれど、25000円の1等席しかないので、昼の部に。

 4等席は売り切れで、3等席の7500円のを買った。

3階席の6番目でも、残っていた席の一番良い席の日をインターネットで買った。

 選挙の翌日だとは知らず、遅くまで起きていて、寝不足のまま、朝早く,南座に。

夜の部「船弁慶

 劇場が小さいので、三階の6番目でも、東京の日生劇場での、玉三郎公演の1等席よりも、良く見える。

 四等席は、おそらく、てっぺんだけだけど、それでも多分良く見えるような設計になっている。

 ただ、前がすごく窮屈で、足を組む余裕もないので、座るづらい。

 最初の出し物、「佐々木高綱」は、我當さんの、十八番の一つで、安定して観られた。

 足腰が思うように動かないので、はらはらするが、動きの方はほとんどなく、台詞だけなので、声の良く通る我當さんには、やりやすいお芝居で、しみじみとした声と台詞が感慨深い,哀れを誘って、安定した演技を見せている。

 我當さん、その息子の信之介、仁左衛門の息子、孝太郎、秀太郎の養子、愛の助という松島屋に、江戸、大和屋の、弥十郎の出演。

 二番目は、関東歌舞伎の役者さん達がメインの「梶原平三誉石切」で、団十郎さんが主役の舞台。

 七ノ助が、娘梢で、可愛らしい娘を,見事に演じていた。七ノ助が出てくると、いじらしくて、可哀想で、涙がにじむ。七ノ助の声といい、仕草や、演技は、可愛らしさを十二分に表現していて、それが余計に涙を誘う。

 団十郎さんは、いつもながら、堂々とした演技で、素晴らしいのは当たり前。

歌舞伎役者の声は、良く通り、ハリがなければならないが、団十郎の声は申し分ない。

 微妙な動きの一つ,一つが、考えられた美しさを示している。

 30分の休みを挟んで、お待ちかねの、「寿曾我対面」いよいよ、勘九郎さんの襲名披露の出し物が観られる。

 休みの間に、向かいのそば屋にかけ込んだ。

新しい店のようで、にしんそばが売りのようだ。

 私は、きつね蕎麦を注文した。早く出てくるのは、きつねか、たぬきで値段は最も安いと決まっている。

 幕間のに、あんかけなんか、口がやけどで食べられないし、ざるそばだと、時間がかかりそうだから。

予想は当たって、私の前に待っているひとよりも、早く、すぐに来た。

 蕎麦も、だしもとても美味しかった。きつねのあげは、刻みで味付けがないのだけど、元々美味しく作っているあげで、厚みがあって、美味しい。

 きつねで、800円。デフレといっても、堂々とした値段だけど、南座の隣にある、松葉は、名前が通っているので、蕎麦といえども、1000円以下のものはない。それで、美味しくないのだから。前に入って、出しが薄くなっていて、幻滅したので、行かない。  

 寿曾我対面は、仁左衛門が曾我兄弟の敵の大物に扮している。お正月らしく、晴れやかな舞台。

 仁左衛門の声が聞こえにくい。あれだけ、素晴らしい声の持ち主だったのに、重病をくぐり抜けて、復活して以来、長い間、声が出なくて、やっとましになったと思ってたのだけど、三階席には、通らない。

 勘九郎は、ものすごい迫力で、館内に響き渡る声と、大ぶりの動きで、客席までも、踏み込んで来そう。

 時蔵扮する、曾我兄弟の兄は、尾山が演じるもので、なよなよしたか弱い優男。

勘九郎演じる、弟は、血気盛んな若武者。

 対照的な二人の兄弟、息がぴったり、動きも美しい。

 七ノ助は、花魁役で、秀太郎と、壱太郎と、3人の花魁の一人。

 勘九郎と七ノ助の二人を見ると、また、涙が出て来て、オペラグラスが曇る。

九月の松竹座とりも、遙かに、上達している二人。

 身震いしてきて、ぞくぞくする舞台。観客の誰もが、気迫溢れる舞台に、圧倒されていたのではないだろうか。

 幕が終わって、隣に人に、「席が窮屈で、疲れますね、」と言いながら、話しすると、その人は、東京から,一泊で来ていて、昨夜は、夜の部を観たそう。

「顔見せは、どうしてこんなに高いのでしょう。東京の方が安いです。」と言われる。

 確かに、と思う。顔見せは,昔から、高かったけれど、何時の頃からか、一段と高いと思うようになった。ご祝儀の観劇だから、とは以前から。

 猿之助の襲名披露も、新橋の東京は19000円。普通の歌舞伎は15000円が相場。

 一月の猿之助襲名披露の、寿初春大歌舞伎は、20000円だから、関西の方が確かに高い。

二月東京公演

庶民の楽しみだった,はずの歌舞伎が、庶民の手が届かない値段になっているが、

南座は、席の作り方としては、庶民の天井桟敷でも、充分良く見えるように工夫されて作られているので、新橋のように、ダダっぴろくて、ひどい劇場とは違う。

最後の出しものは、上方の「廓文章」吉田屋

九月、松竹座

 藤十郎扇雀の親子の共演。

 藤十郎は、以前から踊りの名手。藤十郎を襲名して以来、動きを少なく、自然に見せながら、動きの美しさをより深く追求しているように思われる。

 歩き方一つ,軽やかに、滑るようで、リズムを持って、足の先から、手の先、頭の先まで、腰の動き、美しい形を、動的に表現する。

 名人芸を極める精進の弛まない努力が、もともとの実力に、さらにみがきをかけた美しさを見せている。

十月公演

 常磐津の人間国宝の、声につやは衰えてはいないけれど、声のハリがなくなって、出にくそう,肉体の芸の、儚さ、こそが、舞台を永遠のものとしている。