明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

映画「アンナ、カレーニナ」

   

  アンナ、カレー二ナ

トルストイの名作の一つなので、

誰でも知っているストーリーだけれど、

イギリ映画らしい、作品に仕上がっていて、

自然主義が、強調された作品になっている。

http://anna.gaga.ne.jp/

恋をしたことのない、アンナの眠れる情熱を引き出した

青年将校との激しい恋は、一見チャタレー夫人と比較されそうだが、

イギリスの持つ、自然主義の象徴である、チャタレーと森番との恋とは

相反して、フランス風の都会に毒された、自我と虚栄の象徴の破滅的な

恋であって、精神の束縛、を強調している。

トルストイ自身、貴族社会を嫌って、農村での生活を好んだように、

アンナ、カレーニナ、の中で、農村で生きる青年が、生涯ただ一人の女性

として、愛する、キティーに、求婚して断られ、深い切望と孤独感にさいなまれながら、

自然の中で、労働することで、精神が癒される。

アンナ、カレーニナを恋した青年将校を愛したキティーは、アンナへの憎しみを胸に

耐えながら、結婚への絶望感を抱いていた。

夫の浮気を愛ゆえに許しながら、子供たちを生み、育てている姉をみて、女の幸福など存在しないと思っていたが、姉に勧められて、田舎に来ると、心が解放され、自然に身をまかせている姿を労働しながら見た青年は、再び彼女に求婚する。

この夫婦の愛に、トルストイは、至高の愛の姿を見出している。

階級の区別なく、人種の偏見なく、キティーは、自然と平和を愛する女性として描かれている。脇役ではあるが、その存在感は大きい。

戦争と平和」のナターシャには、アンナカレーニナのような情熱を持った女性で、妻のあるアンドレに、生涯の恋をするが、そんなナターシャを、そっと見守りながら、愛するピエールは、平和主義を貫き通し、動乱の世をくぐり抜けて、最期まで生き、ナターシャへの愛を貫く。

理性が屈服して、激しい恋に翻弄され、破壊的な運命をたどらせるのも人間。

フランスのフローベルは、「ボバリー夫人」にそういう人間の情念の愚かな現実を描いている。

トルストイ自身、そういう情熱に、翻弄され、囚われ、苦悩した人間だったのではないだろうか。

悪妻と言われた、妻の虚栄と浪費的な女の恋のとりこになっていただろう。

自然の中で、働く農民と暮らすことで、トルストイは、心の平安が得られたのだろうか。

駅舎の中で、亡くなったトルストイは。

アンナ、カレーニナの中で、アンナの夫に、ジュード,ローが演じている。

この映画の最重要の、主人公と言っても良い人物を演じている。

この人物こそトルストイの理想とする人ではないだろうか。

本当の意味での、博愛主義の人、平和主義者として、描かれている。

苦悩を抱きながら、許し、憎めず、愛する人物。物静かで、怒らず、心をいつも平然と保っている。キリストのような存在。静かな面持ちの中で、澄んだ目が、パッションを秘めている。ジュード、ローなれではの、はまり役だと思う。

最期の場面、真っ白な花が咲き乱れる、平原で、彼は、子供たちを遊ばせながら、本を読んでいる。

アンナが愛した、息子と、彼女が恋人との間に生んだ、女の子。

 息子は、腹違いの妹を、抱きかかえて、遊んでいる。愛する対象を、母親から、その娘の中に見出したのように。

美しい、自然と、身に優しく振りそそぐ風に乗って。