明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

忙しい日

      

  忙しい日

妹たちとグランダで待ち合わせて、母を連れて近くの弟の家に。

皆が寄るのは滅多にないことだ。お盆のお参りとか、母の誕生日

くらいのものだけど、こうして皆が集えるのは幸せな事で、

母が健在なればこそ。

ランチを一緒に食、ということで、鷲林寺の近く、見晴らしの良い

「ながの」という蕎麦屋さんに行った。

お盆は開けているという蕎麦屋さん。

蕎麦自慢の店で、普段は結構なお客さんだけど、通常は休んでいる所の方が

多い店の中で、あけてくれてるの有難い。

弟が、妹夫婦と娘夫婦、私にと、ビール缶とジュース缶の箱を用意してくれていて、

私の小さな車のトランクに入れ、4人の乗用者がいると、車は坂道で速度を落として、

動かない。こんなことは初めてだけど、馬力のなさ。

クーラーを切らないとだめかな、とこれまた熱い事。

先導してくれる弟が、くねくねと住宅街をねって、山を上がって、いつも使うメイン道路を行ったほうがずっと早いのだけど、お盆で混んでいたら渋滞に巻き込まれ動きが取れない道でもあるので、こんな坂、どんな坂のくねくね道を選んだのだろう。

40キロで走っているのに、ついて来ないから、と時々止まって待ってくれていた、BMW

けれど苦労のかいありで、見晴らしの良い、広い空間のレストランは、住宅雑誌に載っておる軽井沢か蓼科あたりの山の別荘を思わせる。

落ち着くね、というのが、共通語になっている。若い頃はそんな言葉は出てこなかった。

蕎麦自慢の主人、というのはよくあるパターン。ここの主人も例外ではない。

天ざる、として注文するのと、天ぷらそばとして注文するのでは、100円の違いがあるが、天ぷら蕎麦をとっても、同じものんあるので、天ぷらそばを注文したほうがお得ですから、親切きわまりなく、何度も。

十割蕎麦か二八蕎麦か、普通の大根か、からみ大根か、など。

母は途中で、いつもの歌を歌いだすのはいつものことで、私はすっかり慣れているが、他の人達は、周りに気を遣う。

気を使っても仕方ないことなので、認めてもらうしかない。気を使って、口を押える人もいるかもしれないけれど、私は逆に、手拍子を打って、合わせる。

どこの家にも、認知症の老人がどういうものかを体験している人がいる。

蕎麦屋のご主人も、「気にしないで、いつでもお越しください。うちの同じです。お元気で美味しいものを食べることができれば、幸せです。」

山里の車でなければ来られないような場所に、美味しいものを食べさせたいという思いでスローライフを楽しんでいる人は、優しくて親切な人が多いような気がする。

母のグランダにつくと、妹の車に、トランクから積み替えて、二人は帰って行った。

私は母のお三時まで部屋で付き添い、一旦家に帰ってから、血液検査の結果を聞きに

医院へ。

休み前なのに、医院はガラ空き。

暴飲暴食なので、きっと凄い結果だと覚悟していたのに、ほとんどは正常値。

だけど、初めて腎臓の機能低下。医者は心配いりません、という。

帰って、調べたら、クレアチンは、今までで最も高い数値。

 家の家系は、膀胱と腎臓が弱い。叔母は膀胱がんで亡くなった。祖父は腎不全から尿毒症になって。なので、腎臓と言われると。

 夕方からコナミに行っても、疲れを感じて、神経はすごい。背中が重い。

樹木希林が言ってた。

「どこが痛い、ここが悪い、ということ聞いても全く興味ない。ええ、そう、それで?」

と聞き返すくらいだそう。

年が行けば、当たり前のことだもの年が行けば、当たり前のことだもの。

明解だ。

 私の腎臓だって、良く使って来たから。働きすぎはないけど、酷使しているはず。

異常なしというのもいい加減なもので、上限と下限のすれすれだと、いつ異常になってもおかしくない。

だから、血液検査もしなくて良いとしなかった。

けど、根性が座ってないから、膀胱には敏感で、医者に走る。膀胱がんで死んだ叔母を知っている。

膀胱に抗がん剤を入れる為に、半年に一度の入院で、其のたびに、麻酔をするので、最期は小脳をやられて、痛みを感じなくなって、認知症のようになって。

認知症は、神様の贈り物だと思っている。

 とても耐えられない心の痛みを、救ってくれるから。