明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

12月31日の記事

      

 戦後、日本人は、戦争で誰も亡くなっていない、とドナルド、キーンは言った。

  この言葉は、最高に日本を賞賛する言葉だ。

だが、今日本は、その世界に誇るべき,平和憲法を変えようとしている。

 戦争の出来る国に変えようとしている。

  強い日本を目指す。愛国心を煽り、それを義務化する法律を作る。秘密保護法案の成立で、隠遁体質をさらに強化する。

 経済成長を目指して、武器を輸出出来る国に変えようとしている。

 沢地さんは言った。

「アメリカは日本に金を出させて来たけれど、これからは人も出せと言ってくるアメリカは、国が間違った方向に行けば、国民が修正する。良くも悪くも、公表される。」

 良くも悪くも、公になることが、民主主義の基本である。国民の知る権利が守られることが。

 日本人の良識は、アメリカのそれとは違う。

 曖昧にすることが、日本の良識であり、美徳とされてきた。

 その曖昧性が恐ろしい。国のやることを曖昧に受け入れ,、しらぬまに戦前帰りを受け入れ、しらぬまに、兵役の義務が出て、若者は、戦場に送られるようになる。

 日本は、アメリカが多くの戦死者を出したように、同盟国として、日本も血を流すようになるだろう。

 曖昧な日本人は、まさか、そんなことにはならないだろうと曖昧に考えている。

  曖昧は、日本の良識である。

 白黒つけないで、その中間点を探ることが、争いを避け、お互いの利の落としどころを決めることで、国と国と,人と人との平和的な関係を築ける。

 強者でもなく、弱者でもなく、相手を認め、尊重することで、こちらの利も得ることで、軋轢を避け、戦争に至らない道が開ける。

  その日本式な外交関係を、ここで一気に潰そうとしていしているのが、安倍政権だ。 物言う国に、責任と義務を果たせる国に、強い日本を目指す。強い経済を目指す。

 危険際まりない。戦争をしない国から、戦争で血を流す国に。

 強力な力で、弱者を閉じ込め、言論の自由を弾圧する国に。

強いものが勝ち、弱いものが、弾圧される国に。

 すでに始まっている。数の力で、暴走を始めた,自民党政治。以前は自民党の中に、鳩派と呼ばれる良識のある政治家が沢山いた。

 戦争の悲惨さ,愚劣さ、戦争が人間を不幸にしかしないことを、身をもって知っている人達が、自民党の政治かとして存在した。

今は,老齢化し、蚊帳の外で,叫んでいるだけだ。遠吠えは聞かない。

  冷え切った,中国と韓国との関係をさらに逆なでするような、安倍総理靖国への参拝。 アメリカも不快感を示した。

 靖国は、戦争を美化し、軍人として、戦死した人間を神格化する神社だ。

天皇陛下は、誕生日に、もっとも印象に残っているのは、第二次大戦であると語られた。戦争で負け、日本が、平和憲法を守り、平和を大切にする国としてここまで来た事を誇りに思うというようなことも述べられた。

天皇陛下自身が、安倍政権の危険性を案じているのではないだろうか。

 日本が、今真っ先にやらねばならないのは、中国や北朝鮮からの恐怖に立ち向かう軍備ではなく、隣国としての友好関係を構築していくことである。

日本は、どの国とも、平和的な関係を築き、共に地球に生きている人人を尊重し、共に、幸せな関係を築けるように、努力すべきだ。

曖昧な関係を常に持ち続けて。尖閣列島の問題も,竹島の問題も、自分の領土だと公に言わないで、曖昧にしていくことが、賢明なのだと私は思う。

  正義は、国の立場によって、不正義に変わる。

正義とは?何が本当に正義なのか? 

 互いを尊重し、両方が認め合う関係こそが本当の正義なのではないだろうか。

 人の犠牲の上に立つ正義などないはずだ。