明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

あれから20年

       

 20年前の今日、徹夜をして論文を書いていた。

 突然の揺れに素早く机の下に入り込んだ。両脇の足を持って、上下に激しく揺れる。

 とてつもなく長い時間に思われ、私は死ぬと思った。

 あの恐怖は今も忘れらることはない。

  運よく助かった命なのに、一生懸命生きてきたかというと

  そうではない。

 今でも、西宮北口を通るたびに、平屋の下敷きになって亡くなった

 フランス語の先生のことを思う。

 どうして、西宮北口の古家を借りて住んでおられたのだろう。

 フランスで、新しい情報を仕入れて来ます、と言われたのが、最期の会話になった。

 日本に帰られて以来、お会いしていなかったので、仁川の教員宿舎におられると思っていた。

 あんなに、アクティブで、死とは無縁のような方が、一瞬のうちに。

 西宮北口のあたりは、すっかり変わって、面影を残さないけれど、

 古い平屋の中で、すっかり熟睡していただろう先生の姿は、幻のように、私の想像の中に存在している。

 私と、もう一人、同じように被災した人に、「私は被害がなかったから。」といって、お見舞金を私達にくださった

 もう一人のフランス語の先生のことも、震災と切り離しては考えられない。

 気さくで優しい方。

 授業が終わって、教授室で、ポールべキューの魚をご馳走になったことがありました。

 学生たちからの要望で、部屋でパーティーをしたことがありました。

 授業中、肝臓が悪いのではないかしらと思われるように、手のひらが赤くなっておられるのが

 気になっていたのです。

 ワインを一杯飲んで、ポールべキューズのお料理を、今頃は天国で楽しんでおわれるでしょう。

震災の後、母のマンションで、水の配給車にならんで、12階の部屋まで、何度も運んだこと。

長田の火事も、何が他で起こっているのかも、まったくわからずにいたこと。

 アスベストの埃だらけ道を、代替バスで大学に通ったこと、など。

 遠い昔のような、つい昨日のことのような。

 よき人は駈く

私はお二人を思い出すたびに、そのことばが浮かんでくる。