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明日は別の日

のんびりと、マイペースでブログを書いて来ましたら、結構長く続いています。元気出して行きまっしょ、というタイトルから、一新するつもりで。

正岡子規

帰りの電車まで、結構時間があるので、早めの電車に乗るようになるかもと思っていたのですが。

道後温の商店街で、今治タオルと、天皇家御用達のタルトを買って宅急便で送り、道後公園にある、正岡子規記念館で、時間を取ってしまって、松山の主たる観光はなにも。

坂の上の雲で、正岡子規を演じた、香山照彦の鮮烈な演技が思い起こされます。

正岡子規の生涯と、作品。夏目漱石との書簡や、2人が二ヶ月近く同居していた間借りの復元など、見学するのに、随分な時間を取ってしまって、近くに再現された、武家屋敷などをざつとみて、何処にも寄らずに、市電で、松山駅に。

正岡子規の生涯は、29歳から亡くなる35歳なで、寝床から離れることは出来ず、カリエスの、壮絶な苦悶に耐えながら、1日としてかかすかとのなかつた、随筆を書くことが、生きている証でした。

沢山の仲間や友人、しきをしたう、後輩に慕われ、人好きで、行動的な熱いひとだつた。

生命の長い、短いの違いはあるけれど、

吉田さんの生き方に似ている。

絵を描くことが好きだった子規は、寝床の中で、うつぶせて、果物や花、庭先のヘチマなど、写生画を描くのを楽しみました。

観察し、そこから観照して、心に響く声を、俳句に、歌に、文章に表現することへ、突き動かされるように、命の火を燃やし尽くして亡くなった子規。

吉田さんも頑固一徹、武士の精神を持って生き、人が大好きで、誰でも歓迎し、世話好きな人ですが、そういうところも似ているなあと思いました。

子規は、ハンサムな人ではなかつた。彼の親友だつた、秋山も、漱石も西洋的な顔立ちで、冷静沈着な、理性派なので、互いに惹かれあったのでしょう。

とても良い機会を得たと、私は、吉田さんの絵画展のお陰で、子規にも出会えた。今も生きている子規に出会えた喜びに浸りながら、余韻を残して電車の中の人になりました。

子規は、書簡ほど優れた文章はない、と言います。漱石は、子規が、書簡に添えた、青い花の絵があまりに寂しくて、生涯手元から離さなかったそうです。テレビでの、坂の上の雲、の中で、秋山から届いた手紙を楽しみに読む、子規の姿が目に浮かびます。

子規は、食べることにも、凄い執念がありました。

病に打ち勝つために、最後まで、食べつつけました。栄養のあるものを。果物が大好きで、かきなら、15個くらい一度に食べられたそうです。果物なら、なんでも。子規の食事のために、世話をしていた、母親と妹は、つけものか、しるで、食事をしていたとか。